
まず、葬儀業界に入られたきっかけについて教えてください。
きっかけは色々ありますが、元々は三浦市の友人が三浦海岸で葬儀屋をやっていたのを手伝ったことですね。「昔やってたんだから、今からでもやれば?」と言われたのが独立の直接的なきっかけです。 実はそれより前、私は東京で自動車のセールスをやっていました。その時の売り込み先が葬儀社だったんです。たまたまその社長が同じ野田出身の方で親しくなりましてね。車が納車されるまでの1ヶ月ほど時間が空くことがあり、その間に手伝っているうちに、4年ほどで仕事を覚えてしまいました。
その後すぐに独立されたのですか?
いえ、一度葬儀の仕事から離れました。「もっとかっこいい商売があるんじゃないか」と思って(笑)。 戻ってきた際に春日部にある老舗で修行をしました。そこは元々、羽子板やひな人形を作る人形店だったのですが、私が東京での経験があったので、入社してすぐに葬儀部門の責任者を任されました。 当時は市役所の簡素な祭壇しかなかった時代に、立派な祭壇を導入したことで一般のお客様が増えましたね。
いつ独立されたんですか?
昭和54年(1979年)1月1日に独立しました。
独立当初は順調でしたか?
いえ、資金がなくてね(笑)。最初は自分で穴を掘って角材を立てて、プレハブの建物を手作りして始めたんですよ。 ただ、昔のご縁で仕事は確保できました。生花(供花)、祭壇の飾り付け、盛籠、司会業などを全部請け負うことができたんです。それで食いつなぐことができました。
野田市特有の古い習慣にもお詳しいそうですね。
ええ。野田には昔、「六道(ろくどう)」という組織がありました。集落の中で班を作り、「相半(しょうばん)さん」と呼ばれるリーダーが葬儀を取り仕切るシステムです。 穴掘りや花持ち、炊事係(まかない)、寺使い、市役所への手続き(死使い)など、役割分担が決まっていました。こうした地域の古い慣習を熟知していることは、この土地で仕事をする上で非常に重要でしたが、今はもうなくなってしまいましたね。
そういった地域の文化を知っていることが、大きな強みになっているんですね。
そうですね。地域の歴史や文化を理解していることで、お客様に適切なアドバイスができますし、信頼していただけると思っています。
これまで手がけた中で、特に印象に残っている葬儀はありますか?
これまで数多くの葬儀を担当してきましたが、特に印象深いものとして、大規模な葬儀があります。限られた日程の中で、延べ1,000人を超える会葬者への対応が求められ、現場は非常に緊張感のある状況でした。
長年のキャリアの中で、白石葬祭の「強み」とは何だとお考えですか?
まず、「仕事を完璧にすること」、そして「絶対に断らないこと」です。どんな依頼が来ても驚きません。
具体的にはどのような場面で、その経験が活きるのでしょうか?
お客様からは様々な質問が来ます。例えば「なぜ六文銭(600円)を入れるのか」「なぜ100円玉6枚なのか」といった風習に関する質問にも、即座に明確に答えることができます。
最後に、今後の展望について教えてください。
私も高齢になりましたから、いつまでも現役でいられるわけではありません。今後はインターネットなどを活用して、若い世代や次の方たちがスムーズに仕事を引き継いでいけるような体制になればいいなと思っています。売上だけを追うのではなく、これからも地域に根ざした仕事を続けていきたいですね。